Soweto Gospel Choir

南アフリカ共和国大使館

南アフリカの
音楽家たち

South Africa

Miriam Makeba


South Africa

左: Hugh Masekela
右: Dollar Brand

South Africa

Ladysmith Black Mambazo


South Africa

Jonathan Butler


South Africa

左: Bala Brothers
右: Drakensberg Boys' Choir

4. 南アフリカの音楽家たち


南アフリカの人々の音楽好きは殊に有名で、人が集まればそこには歌があり、しかも一般の人でも、即興のアカペラでハーモニーを作って歌える人が多い。ボーカル・合唱、またジャズやパーカッションの分野で活躍する音楽家も多い。

<ミリアム・マケバ>(Miriam Makeba)
1932年生まれ。国際的な女性歌手で「ママ・アフリカ」と敬愛されながらも、その反アパルトヘイト活動により、31年間故国への入国を許されなかった。 歌手としてはもちろんの事、アフリカ文化の架け橋、また反アパルトヘイトの旗手として、残した足跡は極めて大きい。

マケバは1959年の渡米後、人気を博し、多くの有名音楽家と共演。ケネディー大統領の誕生パーティーにも招待され、1963年には国連アパルトヘイト特別委員会で演説を行ったほか、1967年にはオリジナル曲「パタ・パタ」が世界中でヒットした。

しかし彼女の活動は、南アフリカでは当然受け入れられず、また黒人人権運動家の急進派ストークリー・カーマイケルと結婚したことで、アメリカでの人気も急落。その後ストークリーとギニアに生活拠点を移すも離婚するなど、人生の辛酸をなめ尽くした。断続的ながらそれ以降もマケバは、ヨーロッパ・アフリカ諸国での音楽活動を続け、1987年、ポール・サイモンが主催した「グレースランド・アフリカン・コンサート」ツアーにも参加して、大きな反響を呼んだ。

そしてアパルトヘイトの雪解けが感じられた1990年、ようやく帰国が許され(フランス人としてのビザで)、31年ぶりに南アフリカの地を踏んだ。その時、空港には何千もの群衆が歓喜して彼女を出迎えたという。さらに翌年のアパルトヘイト撤廃に伴い、彼女が南アフリカで歌うこと、また彼女の曲がラジオ・テレビで放送されることが許可された。

<ヒュー・マセケラ>(Hugh Masekela)
南アフリカが誇るジャズ・トランペット、フリューゲルホーン奏者。 1961年に渡米。アメリカ在住時には、一時ミリアム・マケバとは夫婦関係にあった。 彼はその後もマケバとは友人関係を続けている。

<ダラー・ブランド(現・アブドゥラ・イブラヒムに改名)>
(現・アブドゥラ・イブラヒムに改名。Dollar Brand/Abdullah Ibrahim )
ケープタウン生まれのジャズピアニスト。南ア時代にヒュー・マセケラらと“ジャズ・イピスルズ”を結成。渡欧中に、たまたまスイスを訪れていたデューク・ エリントンの目にとまり、65年渡米。代表アルバムに『アフリカン・ピアノ』とある通り、まさにアフリカを彷彿させるパーカッシブなピアノ演奏法が特徴。

<レディスミス・ブラック・マンバーゾ>(Ladysmith Black Mambazo)
90年代より国内外で人気を博し、2005年にはグラミー賞も受賞しているゴスペルグループ。ソウェト・ゴスペル・クワイアが男女混声であるのに対して、レディスミスは男性10人のグループ。基本はアカペラ合唱であり、ズールー語のゴスペルソングも数多く歌うなど、アフリカン・ゴスペルを、世界に広く知らしめた。まさにソウェト・ゴスペル・クワイアが結成される前に、先駆的な役割を果たしたグループといえる。ソウェト・ゴスペル・クワイアや、レディスミス・ブラック・マンバーゾ以外にも、南アフリカには数多くのゴスペルクワイアがあるが、いずれも大地の香りがする開放的なサウンドが特徴。ちなみに、レディスミスは南アフリカにある地名。

<ジョナサン・バトラー>(Jonathan Butler)
1961年、ケープタウン生まれの歌手、ジャズ・フュージョンギタリスト。 13歳の時にその才能を認められイギリスへ渡り、イギリスのJIVEレコードと契約。 南アフリカでは、黒人として初めて白人によるラジオ番組で曲が流されたミュージシャンとなった。また、1985年にメジャーデビュー。2作目"Jonathan Butler"と題したアルバムに収められた"Lie"がグラミー賞にノミネートされた。2004年には、"Worship Project"、2007年には"Brand New Day"というゴスペルアルバムも出している。ポップでグルーヴィーなサウンド、ギターテクニックやボーカルなど、ジョージ・ベンソンと比較されることが多い。ギターソロを弾きながら、同じメロディをスキャットで歌う奏法は、まさにジョージ・ベンソンを彷彿させる。

<バラ・ブラザーズ(Bala Brothers)>
ヨハネスブルグ出身の、青年3人兄弟のアイドル的ポップスグループ。 彼らはBalaファミリーと呼ばれる音楽一家の息子達で、父親は数多くのゴスペルソングを作り、ブラザーズメンバーの長兄 Zwai は、作曲やアレンジ、クワイア指揮もこなす実力派。

<子どもたちの合唱グループ>
ドラケンスバーグ少年合唱団(Drakensberg Boys' Choir)は、1992年の「世界少年合唱団フェスティバル」で、“最優秀賞”を受賞。この他にもティーンエイジャーのグループ、レインボースターズ(Rainbow Stars)、学校のクワイアから生まれた ソウェト・ヤング・ヴォイセズ (Soweto Young Voices)など、 次代を担う子ども達の音楽能力の高さも見逃せない。

<メメザ・アフリカ> (Memeza Africa)
ソウェト・ゴスペル・クワイアのディレクター、David Mulovhedzi の息子であるJimmy Mulovhedzi が音楽ディレクターをつとめる南アフリカ・ソウェト周辺のシンガー・ダンサー・ドラマー達によるエネルギッシュなアンサンブルである。

Memeza Africa とは、Shout Africa(アフリカを叫べ)という意味。
2005年に、カナダの女性クリスチャン・アーティストであるホーリー・ライト(Holly Wright) が、エイズによって亡くなった友人に捧げた曲“The world shall love again”にアフリカ風コーラスを付けて再レコーディングしたいという希望を持っていた折り、Jimmy Mulovhedzi を紹介された。当時 Jimmy Mulovhedzi は、Holy Jerusalem Choir というクワイアの代表。“The world shall love again”の詩情に感銘をうけた Jimmy は、早速 Holy Jerusalem Choir のメンバーの中から、シンガーを選び、この曲にコーラスとリズムをつけたところ、感激したホーリーが、さらに彼らとのコラボレーションを進め、カナダのフォークと南アのサウンドの融合が起こった。そしてその後、75名の若く才能あふれたメンバーが、Holy Jerusalem Choir を中心に選抜され、あらたにグループ名も、Memeza Africa と命名され、南ア国内外での活動をはじめたというのが、このクワイアの設立経緯である。

メンバーの多くは、低所得者層の出身であり、いまだ十分な収入や定職を持たないものが多い。彼らは自分たちの音楽活動による収入が、家族を養えるほどのものになることを願っている。

<参考資料>

ミリアム・マケバ(Miriam Makeba)
http://www.global-mojo.com/specialsite/makeba/

「わたしは歌う~ミリアム・マケバ自伝」(1994) ミリアム・マケバ/ジェームズ・ホール著 さくまゆみこ訳 福音館日曜文庫

ヒュー・マセケラ(Hugh Masekela)
http://www.ritmoartists.com/Hugh/Masekela.htm

ダラー・ブランド(現アブドゥラ・イブラヒム) (Dollar Brand/Abdullah Ibrahim )
http://www.abdullahibrahim.com/intro.html

レディスミス・ブラック・マンバーゾ(Ladysmith Black Mambazo)
http://www.mambazo.com/

ジョナサン・バトラー (Jonathan Butler)
http://www.jonathanbutler.com/index1.php

バラ・ブラザーズ(Bala Brothers)
http://www.balabrothers.co.za/

ドラケンスバーグ少年合唱団
http://www.dbchoir.info/

ドラケンスバーグ少年合唱団(日本語)
http://www.rak2.jp/hp/user/drakies/

メメザ・アフリカ (Memeza Africa)
http://www.memezaafrica.com/

South Africa
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5. ジャンベ (Djembe) by juju


「ジャンベ」とか「ジェンベ」と日本では発音されています。ゴブレット型に削られたボディーに薄いヤギ皮が張られた片面太鼓で、スティックは使わず、素手で演奏されます。そのボディー・シェイプから、深く低くよく響く低音、ぎりぎりまで張り詰められた薄い皮から、空を突き抜けるような高音、また、奏法により、少しミュートのかかった中音が発せられます。ジェンベは、これら3つのトーンがバランスよく出せる、1台で太鼓の要素が完結できる数少ない楽器と言えます。

また、「セセ」とか「ケセンゲ」呼ばれる、ブリキ板に金属のリングを付けた羽根状のものを装着して演奏されることがよくあります。これは太鼓の振動に共振し、太鼓の発音にあわせジリジリとしたノイズを重ねる効果を生み出します。アフリカではこのようなノイズが好まれるため、ジェンベ以外の楽器にも多く採用が見られる仕掛けの一つです。

ジェンベは、西アフリカのセネガル、ギニア、マリ、ブルキナファソ、コートジボワール、ガンビア等の地域に住む、マリンケ族固有の太鼓として生まれたという説と、あるいは、バンバラ族固有の太鼓として生まれたという説があります。アフリカは文字を持たない無文字文化を発達させてきたためか、歴史的記録や資料からの特定は難しいようです。

西アフリカはアフリカ大陸の中でも最も太鼓文化が発達した地域で、その音楽的特徴は、複雑で激しく躍動的であると評されます。そしてこの西アフリカの音楽文化は現在のダンスミュージックのルーツであると言われています。

もともと、ジェンベはこれら部族の生活に密着し、主に、儀礼音楽、婚礼音楽、祭り音楽などで、舞踏と手拍子と歌と共に、“喜び”の象徴として演奏されてきました。具体的には、生命誕生、生後7日目の名付けの儀式、日本で言う成人式にあたる割礼の儀式、秘密結社の加入儀礼、結婚式、そして葬送式に至るまで、人の一生の節目ごとに、あるいは、日常的な娯楽や、祭り、様々な年中行事、さらには自然界や精霊や魂などに働きかける崇拝儀礼などにおいて、ジェンベは人々の生活のあらゆる場面に存在し、人々の生活に密着し、常に“喜び”のシンボルとして、“出会い”、“友情”、“愛情”、“コミュニケーション”、“熱気”、“祝福” などを表して演奏されてきたのです。

このような、伝統的に存在するリズムアンサンブルにはすべて名前が付けられており、それぞれのリズムには演奏されるのに相応しい機会が必ずあります。そして、演奏される完成されたアンサンブルそのものが、意味のある言語メッセージや素晴らしいストーリーを表現しているのだと言います。無文字文化の中で、ジェンベはそれらを連綿と伝達する役割を担ってきた、民族にとってのシンボル的な楽器なのです。

残念ながら日本語を太鼓で表現することはほとんど不可能ですが、アフリカの大部分の言語は、声調の上がり下がりや強弱が、各々の単語の意味を決定する上で必要不可欠なほど重要な役割を果たす、声調言語(tone language)といわれるものであるので、太鼓が発する言葉は、あたかも人が太鼓を通して話しかけているように聞こえてくるということです。

また、これらの伝統的なリズムは、主にマスタードラマーと呼ばれる太鼓の達人たちによって受け継がれてきました。マスタードラマーは、音楽家として最高水準の技術と、リズムに関する優れた知識を持ち、人間に対する深い洞察や豊かな人生経験を備え、そればかりでなく、薬草の知識やカウンセラー的知識までもを備えていて、太鼓の音が人間にどのように作用するかということに精通しています。特に、ヒーリングに関わるリズムはマスタードラマーだけに許されたものであり、民族社会において彼らは人々から非情な尊敬を集めているのです。

ただ、マスタードラマーとなるのは世襲制のようなものではなく、どちらかと言えば、職人的師弟関係のような緩やかな制度であり、誰であっても本人が目指せば、師となるマスタードラマーのところでイニシエーションを受け、そして、その才能と努力により身に付けた技量が認められたとき、新たなマスタードラマーになることができるようです。

1950年代後半、西アフリカ諸国の独立と前後し各国に設立された国立舞踊団が、欧米に紹介され、欧米各地で公演するようになり、その後、マスタードラマー達が欧米各国に移り住むようになったことで、ジェンベの演奏を学ぶ機会が飛躍的に増え、現在のように、ジェンベが世界的に普及することになりました。

永年にわたり伝統的に受け継がれてきたジェンベの演奏も、現在では、世界中に活躍の場を広げたマスタードラマー達により、ポピュラー音楽などの多種多様な音楽ジャンルにおいて、伝統のみにとらわれない新たな表現技法が追求され、より多様に自由度を増した奏法で演奏されるようになってきています。

今現在、ジェンベは、民族の文化や生活に根差した伝統的でシンボル的な性格を維持するだけでなく、より純粋に楽器としての表現力を充実させながら、世界的にポピュラーな楽器として進化し発展し続けている過程にあると言えるのではないでしょうか。